2026年3月29日
ゲームは、愛の別名だ——トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー
タイトルはシェイクスピアの『マクベス』から来ている[1]。「明日、また明日、また明日と、時間は小刻みな足取りで日ごとに忍び寄る」——人生の無意味さを嘆く台詞だ。ところがガブリエル・ゼヴィンはその言葉を、まったく逆の意味で使う。明日もゲームを作る、また明日も、またその明日も。その執念の中に、人生の意味を見出そうとする物語だから。
1987年、サンフランシスコの病院のゲームルーム。入院中の少年サムと、姉を見舞いにきた少女セイディが〔スーパーマリオブラザーズ〕を一緒にプレイする。二人の関係はその後数年の空白を経て、1990年代のボストンで再び動き出す。ハーバードとMITに通うようになった二人が共同でゲームを作り、〔イチゴ〕と名付けたそのゲームが一夜にして世界的な成功を収める——ここまでが物語の序章に過ぎない。本書が描くのは、その後の四半世紀だ。
ゲームが舞台だからといって、ゲーマーでなければ楽しめないかというと、そんなことはまったくない。本書に登場するゲームはすべて架空のものだが、その設計思想が丁寧に語られるため、ゲームを遊んだことがなくても作品の面白さは伝わってくる。むしろこの小説は「ゲームとは何か」という問いへの深い答えを持っている。ゲームとは別の人生を生きる装置であり、自分ではない誰かになる経験だ。その定義を通じて、サムとセイディが何を作ろうとしていたのかが、次第に明らかになっていく。
二人の関係が単純な恋愛にも友情にも収まらないのが、本書の読み心地の核心だと思う。ロマンスではないけれど愛に溢れたストーリーという感想が的確で、セイディとサムの間にあるのは、お互いを必要としながらも決して対等にはなれない、創作者同士の特殊な緊張感だ。商業的な成功を優先するサムと、自分の作りたいものを追求するセイディ。その溝は深まり、二人は長い時間をかけてすれ違い続ける。それでもゲームを作ることをやめない。
著者のゼヴィンが文学的な素養を持つ作家であることはよく知られており[2]、本書でもゲームと文学が自然に交差している。ゲームの中に詩人の生涯を盛り込んだ架空の作品が登場するくだりは、創作者にとって特別な響きを持つ。作るということはどういうことか、という問いが、ゲームと小説という二つのメディアを通じて照らし合わされている。
発売から長期間にわたってニューヨーク・タイムズ・ベストセラー入りを果たした全米話題作で、日本でも本屋大賞翻訳小説部門にノミネートされている。ゲームという媒体を通じて「創造とは何か」「共同作業とは何か」を問う本書は、Death of the Author や『バベル』と「作ることの意味」というテーマで深く響き合う。
ゲームは、愛の別名だ。本書を読み終えるとそう思える。なぜなら、愛もゲームも、相手との関係の中でしか成立しないからだ。
参考文献
[1] 石井千湖. “『トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー』(ガブリエル・ゼヴィン/池田真紀子訳)書評家の石井千湖さんによる巻末解説を公開”. Hayakawa Books & Magazines. 2023-11-09. https://www.hayakawabooks.com/n/n151444124a73, (2026-03-29).
[2] 早川書房. “『トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー(仮題)』10月刊行のお知らせ”. Hayakawa Books & Magazines. 2023-10-15. https://www.hayakawabooks.com/n/n7f654e095e6d, (2026-03-29).